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フィランソロピー先進国のアメリカで大規模に行われたこんな調査がある。
「あなたの活動するセクターで、これまで社会に最も大きなインパクトを残した非営利組織を5つ挙げてください。」社会変革に成功した組織の共通点を紐解くために行われたこの研究は、3,000人もの非営利組織のリーダーたちにこの質問を投げかけることから始まった。
名前が挙がった“優良”非営利組織のリストはさらに段階的に絞られていく。専門家60人による議論、経営者へのインタビュー、内部データの調査など慎重なプロセスを経て、最終的にセクターや地域、規模の大小にかかわらず「最も成功した12の社会変革組織」が選ばれた。そこにはTeach for Americaのように知名度の高い団体から、The Exploratoriumのような(恐らく読者の皆様もご存じないであろう)極めて知名度が低い団体までが、バランスよく名を連ねた。
そしてこの12団体について、研究チームはさらに詳細な研究を実施。その結果、社会変革組織12団体全てに共通する6つの活動が最終的に明らかになったのだった。
さて、その一つ目に挙げられた活動とは何だったか。それは、どの組織も直接的な支援活動に加えて、「アドボカシー」に取り組んでいるということだった。
直接的な支援活動とは、文字通り、受益者に対して直接モノやサービスを提供することである。Teach for Americaであれば、学習が遅れている生徒にトップ大学の学生たちが授業をする ― これは最もわかりやすい社会課題へのアプローチである。しかし、解決のアプローチは直接支援だけではない。社会課題の裏には、得てして解決のネックとなっている法律や政策、制度といった「仕組み」が存在している。それらを変革するために行う様々な活動、それらを「アドボカシー」と呼ぶ。
本連載では、このアドボカシーとフィランソロピーの関係に着目する。直接支援に比べて、これまでフィランソロピストたちがあまり関心を示してこなかったこのアドボカシーが、今アメリカでホットトピックの一つになっている。私の学ぶハーバード大学公共政策大学院で開講されたフィランソロピーに関する集中セミナーでも、アドボカシーが大きな柱の一つとして議論されたほどだ。
ここでは4回の連載を通じて、フィランソロピーとアドボカシーについて、日米の事例をふんだんに紹介しながら、理解を深めていきたい。
#1: アドボカシーとは何か?
#2: なぜフィランソロピストがアドボカシーに取り組むべきなのか?
#3: フィランソロピストがアドボカシーに取り組む方法は?
#4: アドボカシーの効果を測るには?
本記事のポイント(#1: アドボカシーとは何か?)
第一回目の今日は、アドボカシーの効果とそれにまつわる誤解を解いていく。
先ほど、アドボカシーとは「社会課題解決のネックとなっている法律や政策、制度などの仕組みを変革するために行う活動」だと説明した。しかし、そもそもなぜ直接支援をするだけでは不十分なのだろうか。直接支援は活動も効果もわかりやすい。それにも関わらず、冒頭で述べた社会変革組織が「必ず」アドボカシーに取り組んできたのは、アドボカシーにしか達成できない効果があるからに他ならない。
直接支援を永続的に続けていくことは極めて難しい。団体が予算を際限なく確保し続けられる保証はなく、活動を率いる強力なリーダーたちも不死身ではない。活動領域や規模を無尽蔵に拡大していくことが現実的ではないのは容易に想像できる。その点、アドボカシーは現在ではなく「未来まで続くインパクト創出」に対する有効な投資だと捉えることができる。
具体例を挙げよう。日本でよく話題になる、若者の望まない妊娠という問題がある。避妊具を適切に使用しなかったなどの理由から10代で妊娠してしまい、学校からの退学やその後の貧困、精神的・社会的孤立などにつながる問題である。この問題への直接的支援としてわかりやすいのは、妊娠した母親の孤立を解消するための相談所・居場所の設置や、望まない妊娠を防ぐための学校での性教育などだろう。実際に、いくつもの精力的な団体が支援活動や性教育を行っている。(例:ピッコラーレ、ピルコン)
一方でこの直接的支援だけでは課題も残る。全国には無数の学校、無数の生徒がおり、一部の組織だけで全国をカバーすることは不可能だ。そのため「支援の網」からこぼれてしまう人々が生まれてしまう。また、現在の日本の学習指導要領に沿うと、性教育で教えることができる内容は極めて限定的で、芯をついた教育が難しい。(いわゆる「はどめ規定」と呼ばれる問題である。 )
これらの構造的課題を「仕組み」から解決しようと志向するのがアドボカシーである。性教育で指導できる内容の拡充、妊娠した生徒に自主退学を推奨する中学校・高校への指導、性教育指導要員の全国配置などを目指すことがアドボカシーに該当する。
先の個別的な相談や性教育の提供(=直接支援)と、アドボカシーとが異なるのは、アドボカシーが未来まで続く永続的インパクトを志向している点である。指導内容が拡充できればその恩恵はより長く、より広範に届くようになる。指導要員がトップダウンで配置されれば性教育の実施率は半永続的に上昇する、といった具合である。
当然、このような「仕組み」の変革は、直接支援と比較して成功率が高いとは言えない。しかし、少しでも進展があれば、それは一つの組織の枠を超え、将来的にも持続するインパクトを生むことになる。
このようにしてアドボカシーが実際に実った事例をあげよう。国内でも有数の知名度と規模を誇る認定NPO法人フローレンスは、待機児童問題に対してアドボカシーで効果を上げた実績がある。2000年代に待機児童数の増加が問題になった際、フローレンスは自団体が独自に実施していた「少人数保育施設」(マンションの一室などで保育ができる施設)の全国的な導入に取り組んだ。具体的には厚生労働省の官僚に働きかけたことが奏功し、この少人数保育施設は「子ども・子育て支援法」に盛り込まれ、どの事業者でも開始することができるようになった。
このように「政治的・時間的・金銭的な約束」を取り付けることで、組織の活動の枠を超えたインパクトを生み出すのが、アドボカシーの効果である。
気候変動の影響は日に日に激しさを増している。異常気象の頻発や深刻な海面上昇は、これまで一部の地域に限られていたその被害を広範な国と地域に広げている。中南米のハリケーンの増加は、そこに住む人々が米国など高緯度地域へ移住(という名の避難)をする一因となっている。これらの「気候移民」と呼ばれる人々に対し、住居や就労機会の提供などの直接支援は当然大きな意味を持つ。
ただ同時に、気候変動そのものを食い止めない限り、この現象に歯止めはかからない。そこで、その原因となる温室効果ガス削減のために、国や政府にクリーンエネルギーへのシフトを呼び掛けているのが、米ヒューレット財団などの財団である。これらの財団は州や連邦政府との折衝を通じて温室効果ガス排出量削減の目標設定に圧力をかける他、同様のアドボカシーを行うNPOへの助成金も支出している。
もう一つ例を挙げよう。アメリカでは今、急性薬物中毒による死者数が急増している。衝撃的なことに、交通事故死(年間約4万人)や自殺(年間約5万人)よりも、この薬物中毒による死者数(2022年時点で年間9万人)の方がはるかに多いのである。もともとは一部の製薬会社が販売したオピオイド系鎮痛薬に強度の依存性があったことで、アメリカ国内に広まってしまったこの薬物問題。現在はその処方は大方停止したが、中国などから密輸入された合成薬物が処方薬を代替し、多くの人々の心と体を蝕んでいる。
そこでCenter for American ProgressなどのシンクタンクやNGOは、主要な密輸入元となっている中国に対して規制強化を求めるよう、連邦政府に働きかけている。薬物依存者への直接支援も必要だが、その薬物の供給元となっている中国との貿易管理や外交政策にアドボカシーを通じて影響を与え、原因を取り去ってしまおうという試みである。
このように、社会課題の結果に対応するだけでなく、原因にもアプローチできるのがアドボカシーのもう一つの重要な効果である。
アドボカシーで実現した効果は、その地域に留まらず、広く他の国や地域に広がっていく可能性を持つ。
記憶に新しいのは、性加害の前科がある者の就労に制限を加える制度、通称日本版DBSである。2024年6月に法案が成立したこの仕組みは、イギリスに存在するDBS(抑止・禁止サービス:Deterrence and Barring Service)に倣って考案されたものである。イギリスでは、2012年からDBSの仕組み(性加害の前科がある者はデータベースに登録され、学校など教育機関関係者は採用予定の者に前科があるかを確認できる仕組み)が採用されているが、この仕組みの導入に向けては英現地のNPOや被害者団体がアドボカシーを行っていた(詳細はこちらの書籍を参照)。イギリスで政府にアドボカシーを行った団体は、この仕組みが日本にまで波及するとは思いもしなかっただろうが、結果的に国境を越えて子どもたちへの性被害の予防に成功している。(もちろん、今回の日本版DBS設立に向けては、フローレンスをはじめとした諸団体が国内で尽力したことも忘れてはいけない。)まさに、アドボカシーが国を超えて効果を生んだ事例だ。
国境をまたがずとも、国内で都道府県の枠を超えて仕組みが広がる事例もある。その一例が、過疎化への一手として広がりを見せる、高校入試における「県外生」の募集だろう。元来、公立高校は基本的に所在する都道府県内の生徒しか受け入れることができなかった。しかし、島根県の隠岐島前高校から始まった局所的な取り組みである「しまね留学」は、この制限を取り払い、都会の中学生を島根県の高校に入学許可するようになった。大成功を収めたこの制度変革はその後、他の自治体にも広まり、2024年現在、30以上の道県の130校を超える高校が年間700人規模で県外生を受け入れている。この広まりの裏には地域教育魅力化プラットフォーム(一般財団法人)などによる地方自治体へのセミナー等を通じたアドボカシー活動がある。
このように、地域の枠を超えた波及効果が期待できるのが、アドボカシーの魅力であり、必要性であるともいえる。
なお、アドボカシーは必ずしも直接支援の後に生まれてくるものではない。先に挙げた成功する12の非営利組織の中には、最初からアドボカシーを主要ミッションとして掲げて活動する中で、後から直接支援を開始した団体も存在する。冒頭の研究結果のポイントは、成功した団体はいずれも直接支援とアドボカシー、両方を手掛けていた、ということである。
さて、ここまで様々な事例からアドボカシーの効果を見てきたが、アドボカシーとは具体的にどのような活動を指すのだろうか。
実はここに、よくあるアドボカシーへの誤解が存在する。それは「アドボカシー=政治家との交渉」という考え方である。無論、政治家との交渉(これをロビイングと呼ぶこともある)が極めて有効なアドボカシー戦略になることは多い。しかし、アドボカシーの全体像はそれよりもはるかに広いということを、この連載では強調しておきたい。前段でも触れたように、社会課題の解決に資する「仕組み」変革のための活動は、AからZまですべてアドボカシーに含まれるといっても過言ではないのである。
では、政治家との交渉の他には具体的にどのようなアプローチが存在するのだろうか。事例とともに見ていこう。
1. 政治家に正しい情報を伝える
これは政治家との交渉の一部ともいえるが、厳密にはその前段階である。国にせよ、地方自治体にせよ、政治家がその選挙区の課題を全て把握できているとは限らない。交渉する以前に、まず現場で起きている問題を正しく伝えることもアドボカシーの重要なプロセスなのである。
例えば、一般社団法人EDAS は技能実習生や特定技能労働者といった外国人移民の人々へのサポートを手がける団体だ。この団体は技能実習制度の改革に向けて、政府有識者会議のヒアリングを受けたり、役人や政治家を招いた勉強会を開催したりすることで、政治に外国人労働者の苦難を伝える活動をしている。この他にも、多くの団体が実施する署名活動には政治家に市民の声を届ける役割がある。
少し話はそれるが、東京都品川区では、小学生が「市民の感覚」を区議会に届けたという事例もある。品川区議会では、2023年11月まで東京23区で唯一、議員の呼称に性別によらず「○○くん」を用いていた。そこに、議会見学でやってきた小学生児童4人が「全員『くん』で呼ばれているのは違和感がある」と声を上げたのだった。それを受け、2024年2月には品川区議会の呼称は「議員」または「さん」へと変更された。これは議会に留まる小さな変化ではあるものの、一般市民の感覚を議員に伝える、という意味ではこの男の子も小さなアドボケイトだと言える。
2. 市民に正しい情報を届ける(啓発活動)
「仕組み」が変わるためには、私たち市民の声が変化していく機運(“モメンタム”)が必要である。市民の声が高まれば、政府や地方自治体もその流れを無視するわけにはいかなくなり、ひいては政策や制度の改変につながる。
市民に正しい情報を届けるのにも、いくつか方法が存在する。まずは、取り組む課題の深刻さや必要な改革についてセミナー等を開催することだ。非営利組織のセミナーは寄付を呼び掛けるための「ファンドレイジング活動」と位置付けられることが多いが、社会課題に対する市民の理解度を高めるという意味ではアドボカシーであるとも言える。
ただ、セミナーがアドボカシーとしての機能を果たすためには、単に「我々の活動は○○で、資金が必要です」というメッセージだけでは不十分である。「我々の取り組む社会課題を解決するためには、○○という制度変革が必要不可欠です。我々の声を他の人にも拡散してください」といった具合に、制度変革の重要性を広める声掛けが必要になる。時には「その制度改革を実現するために、この候補者・政党に投票してみませんか」と呼びかけることもある。
次に、社会課題の現状について白書やレポートを発表することで議論を活性化していく手法もある。代表例として、言わずとしれたユニセフがある。毎年「世界子供白書」を発表し、その時々の子供を取り巻く課題を定量的に表現し、発信している。たとえば、2023年は「子どもの予防接種」を取り上げ、4,800 万人の子供たちが全くワクチンを接種できていない状況などについて啓発した。このようなリサーチは一見アドボカシーと縁遠く見えるが、変革の機運を形成する意味で実は立派なアドボカシーのステップであり、その意味合いを強調して「調査型アクティビズム」と呼ばれることもある。(荻上チキ著「社会問題のつくり方 - 困った世界を直すには?」より)
3. 政策の実行に資金提供する
アドボカシーのイメージとは少し異なるかもしれないが、資金提供のかたちで政策の実行を支えるというアプローチも存在する。というのも、政治家が正しい情報を持っており、制度を変えたいと思っていても、実行するための資金が捻出できないというケースが存在するからだ。そのため、特に地方自治体レベルでは、理念と実行をつなげる最後のピースとして資金提供が重要になることがある。この点の具体的事例は本連載の第2, 3回で触れていく。
このように、「アドボカシー」と一口に言っても、様々な活動が含まれる。ここでは紹介しなかったが、他にも訴訟を通じて制度変革にプレッシャーをかけていく手法、パブリックコメントを投稿する手法なども存在し、活動の幅は極めて広い。実際には、社会課題に自分たち以外のステークホルダーを巻き込んで取り組もうとした時点で、それは多かれ少なかれアドボカシーに足を踏み入れていると言ってよい。その意味で、真に社会的インパクトを志向する団体は、アドボカシーとは無縁ではいられないのである。
ここまでアドボカシーがいかに重要かについて述べてきたわけだが、最後にアドボカシーにまつわる注意点についても述べておきたい。
それは、取り組む社会課題の真因を捉え違えたり、一部のステークホルダーを見落としたりすると、本来社会課題を解決する側であるはずのアドボカシーが社会課題を生む側、助長する側になってしまうことがあるということだ。
2023年10月に埼玉県でこんな条例が成立した。小学3年生以下の子どもを自宅や車に残したまま保護者が外出するのを“虐待”として禁止する ― 「子ども放置禁止条例」と呼ばれたこの条例。罰則規定はないものの、子ども放置などの“虐待”を見つけた場合には県民には通報義務があるなど、かなり踏み込んだ内容だった。
この条例が「善意」に基づいていることは言うまでもない。「子どもの放置は危険であるということを県民に意識付ける」ことが目的とされていることからも、あくまで子供を守るための条例という趣旨だった。当然、この改正案を提出した議員たちの裏に、この案を支持する市民(団体)がいたことは間違いないだろう。
しかし、果たしてこの条例案は、「本当に支援が必要な人々」の声を取り入れていただろうか。シングルマザーの家庭を考えればわかりやすいが、子ども一人の留守番を禁止することが、働く彼女たちにとってどれほどの負担になるだろうか。確かに、アメリカにも子どもの放置を禁止する州や市は存在する。しかしそれは、子どもを預けられる施設や地域コミュニティ、職場の理解など、シングルマザー/ファザー世帯への制度的・心理的サポートの枠組みがあってこそである。サポート体制がままならない状況で、一律に子ども放置を禁止するのは、原因にアプローチせずに課題を覆い隠すに等しい行為であり、善意が悪果を生んでしまった事例だと言える。
その後、この条例は一部の母親を中心にした力強いアドボカシーにより、大きな議論を呼び、最終的には撤回となった(その点では、カウンターアドボカシーが奏功した事例とも言える)。この事例が示すのは、本当に弱い立場にある人々の声に寄り添えないアドボカシーは暴力的になり得る、という教訓である。アドボカシーに取り組む際には常にこの点に注意しなくてはならない。
ここまで連載一回目の本記事では社会課題解決のために不可欠な手段としてのアドボカシーを紹介してきた。次回は「なぜフィランソロピストがアドボカシーに取り組むべきなのか」をアメリカの事例も踏まえて深堀っていく。
(PA Inc. リサーチパートナー 岡部晴人)
所属:米国ハーバード大学ジョン・F・ケネディ行政大学院 公共政策学(国際関係・NPO経営)専攻
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