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諸橋寛子(もろはし・ひろこ)さん
「走り方もわからない」ほど運動が苦手だった女性が、スポーツを通して子どもたちが抱える社会課題の解決に取り組んでいる。「スポーツには、人の心や体を育てる力がある」。活動のきっかけは、故郷を襲った東日本大震災だった。
東日本大震災の発生直後、諸橋さんは故郷の福島県にいた。創業者の父から継いだゼビオ株式会社のスポーツ用品店70店舗が被災。社員と力を合わせ、がれきの中から店の衣類やキャンプ用品を探し出し、店の駐車場に被災者が集える場をつくっていた。「故郷で苦しむ人の助けになりたい」との一心だった。
しかし、炊き出しに訪れる子どもたちの表情からは笑顔が消えていた。親、兄弟、友達、親戚、帰る家――。大切なものを失った子たちだった。
ある日、炊き出しの際に店の商品だったボールを出すと、子どもたちがボールに触れたとたん、笑顔を見せた。諸橋さんには、その光景が目に焼き付いている。
「スポーツの持つ力を強く感じた瞬間でした」
自身も多くの友人や知人を亡くした諸橋さん。思い出の町や多くの人たちが傷つく姿を目の当たりにするうち、「生きていることが奇跡「生かされた自分に、何か社会のためにできることはないか」と考えるようになった。
そして震災半年後の2011年9月。スポーツを通して震災復興を後押ししようと、一般財団法人「ユナイテッド・スポーツ・ファウンデーション」を立ち上げた。ゼビオの取締役社長の役を夫に託し、財団の活動に専念する決意をした。
財団の最初の活動は、被災した子どもたちに体を動かせる場所を提供することから始まった。福島では当時、放射能の影響で屋外での活動を制限されていた。子どもたちが外で遊べない状況が続き、何とかしないといけないと思ったことがきっかけだった。
「震災後、福島の子どもの肥満率が全国一になっている、というニュースにショックを受けました。人間って一ヶ月外に出ないと走れなくなるし、コミュニケーションもできなくなる。当たり前のことがどれだけ大切かを実感しました」と諸橋さんは振り返る。
財団は、ゼビオがゴルフ店舗としてオープンする予定だった建物を活用し、海外の支援団体の協力を得ながら、連日様々な運動プログラムを実施。乳児向けのスペースも設けて参加者同士で交流できる場をつくったり、ピアノの演奏会を開いたりもした。約3年で延べ11万人がその施設を利用した。
こうした活動の中で、諸橋さんはコミュニケーションが苦手な子が多いことを知り、「それを解決するような社会教育の取り組みができないか」と問題意識を持った。そこで始めたのが、小学生を対象とした2泊3日のスポーツキャンプだった。様々な競技のアスリートを招き、スポーツやグループでの共同生活を行う。初対面の人とコミュニケーションをとりながら、子どもたちが自分の能力に気づいたり、好きなことを見つけたりするきっかけをつくることが目的だ。
「キャンプを通じ、子どもたちは本当に大きく成長します。スポーツ嫌いだった子が好きになる。サッカー部を辞めようとしていた子がキャンプで他の競技に触れて、『僕はやっぱりサッカーが好き』と気づく。ずっとサッカーをやってきて、練習がつらくなっていたのかもしれません。楽しいと思えることが大事。楽しいから人は頑張れる。また、友達の手を握ることができるようになったり、喋れなかった子が人前で話せたりと、社会性も養われます」
キャンプ後に集めた保護者アンケートでは、「無理やり行かせたけど、あんなに楽しんで帰ってくるとは思わなかった」「急に自立できるようになった」「家庭に帰っても見違えるほど変わった」と、成長を喜ぶ声が届いた。
財団の主な活動は、参加費や助成金の他に、企業との連携によって支えられている。震災復興支援などを通じて意気投合した企業や団体から継続的にサポートしてもらっており、現在はマルチスポーツキャンプやオンラインイベントなど年間約20回開催しているという。
諸橋さんは近年、フィランソロピーをはじめとした社会貢献活動に対する追い風が吹いている、と実感している。「ここ数年で、日本でも多くの企業がSDGsへの貢献を掲げ、社会問題の解決に寄与したいという意識を持ち始めている。その一方で、何をどう始めたら良いか悩む企業も少なくない。そのような中で、私たちのような財団とタイアップすることによって、注目を集めたり、効果的にその活動を広報できたりするメリットが出てきます」と語る。
例えば、コニカミノルタ株式会社との連携事例では2015年、被災地の小学生たちを対象としたスポーツフェスティバルを同社と宮城県仙台市で共催。同社が契約するプロのサッカー選手やゴルフ選手などを招いてスポーツ教室を実施した。その中で、視覚障害者を支援する同社の立体コピー機を参加者に紹介するなどした。同社とは毎年のようにスポーツフェスティバルを開催しているという。
財団の常勤スタッフは諸橋さん含めて3人で、人数は設立当初から変わっていない。ゼビオグループの社員2人が財団に出向して2〜3年間活動に携わり、3人で事業の企画・運営、資金調達などを全て担っている。プログラム参加者のアンケート結果などを参考に、年始に次年度の事業を計画。継続事業に加え、財団の理念や方針に合った助成金の公募があれば、積極的に応募しているという。
一方で、スポーツキャンプなどのイベント開催時は人手が必要になるため、ボランティアを募集したり、インターンシップ契約を結んでいる大学の生徒に協力してもらったりしている。諸橋さんは「これまで培ってきたネットワークに、財団の活動が支えられている」と感謝する。
活動では、「継続性」を大切にしている。「私たちはイベント屋ではないので、社会問題をどうやって解決するか、という点からいつも始まります。そして社会課題を解決するためには、継続して取り組むことが重要で、トライしてプログラムを改善・バージョンアップしていく必要がある。例えば現在の課題はコロナ禍が長引く中、どうやってリアルとバーチャルを使い分けていくか。色々なパターンを考えて取り組んでいきたい」と気を引き締める。
財団設立から10年。これまで実施した約3,000に上る活動では、60万人もの子どもたちが汗を流した。活動の舞台は全国に広がり、スポーツキャンプやオンラインイベント、知育運動プログラム、インターナショナルスクールへの体育授業講師派遣、福島県の被災地の未来を担うリーダー育成など、幅広く展開されている。その中で、財団は子どもたちに向け、「自信」「グローバル感覚」「多様性」「モチベーション」「コミュニケーション」「協調性」「感動体験」「チャレンジ」「感謝」の9つを伝えることにこだわってきた。
諸橋さんは「決してトップアスリートを育てようと思っていない」と言う。「スポーツを通じて、子どもたちに『生きる力』を伝えられる」と信じる。
財団が次に見据える課題は、教育現場における格差。「急速なIT化を背景にした情報の格差や教育内容の格差。プロスポーツの拠点がない地域や離島など、指導者がいない地域ではどうするか。また、部活の有償化が実現された時、部活に入れない子たちにスポーツを通じた教育活動をしていきたい。そのためには、民間企業と行政、それぞれの地域が力を合わせていかないといけない」。フィランソロピーを通じて、「社会に問題を提起できる財団」を目指す。
SIIF藤田淑子、小柴優子
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