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プロフィール
田中 仁(たなか ひとし)
株式会社ジンズホールディングス代表取締役CEO
一般財団法人田中仁財団代表理事1963年群馬県生まれ
1988年有限会社ジェイアイエヌ(現:株式会社ジンズホールディングス)を設立し、2001年アイウエア事業「JINS」を開始。フィランソロピーについては、2014年群馬県の地域活性化支援のため「田中仁財団」を設立し、起業家支援プロジェクト「群馬イノベーションアワード」「群馬イノベーションスクール」を開始。
2020年には廃旅館を再生して「白井屋ホテル」を開業し、2023年には複合施設「まえばしガレリア」オープンに携わるなど衰退していた地方都市・前橋のまちづくりに奮闘している。
田中さんが、今、最も情熱を注ぐのは故郷・前橋市のまちづくり。粉骨砕身して取り組むまちづくりは、今や国や行政も動かすほどの大きな渦となっています。実は、田中さんがまちづくりに向かった背景には、海外の起業家たちとの交流の中で生まれた「フィランソロピーへの思い」がありました。常に新しい挑戦を続ける田中さんに、お話を伺いました。
― 世界の起業家たちの社会に向き合う姿勢に、衝撃を受けたからです。
田中さん:
2011年、私は「EYワールド・アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー」の日本代表として、モナコで開催された世界大会に参加しました。世界中から集まった起業家たちと出会い、その多くが当然のように、個人資産や企業のリソースを地域や社会に還元している姿に衝撃を受けました。
たとえば優勝者だったオリビア・ラムさんは、シンガポールで海水の淡水化事業を展開する起業家です。彼女は孤児として育ち露店を手伝いながら苦学の末に国立大学に進学し、社会課題の解決を目的とした事業を起こしました。個人でも大きな社会貢献をされていました。そのほかにもたくさんの起業家の生き様と、その根底にある「社会に貢献したい」という姿勢に、心を打たれたのを覚えています。
彼らにとってフィランソロピーは、「成功のご褒美」ではなく、「当然果たすべき責任」なのです。そして実際、大会の審査項目の一つには「社会貢献活動」がありましたが、当時の私はそこにほとんど何も書くことができず、深い後ろめたさを感じました。
ちょうど50歳を迎えた頃でもあり、ふと「この先も、自分と会社のためだけにエネルギーを注いで、果たして良い人生だったといえるのだろうか」と考えるようになりました。誰か第三者の役に立つことに力を注ぐことこそが、自分の人生の意味や幸せに繋がるのではないか。そう思ったのが、フィランソロピーに向かう原点でした。
― 地元の若者たちが、街の未来を変えようとしていたからです。そして、私も命がけでやってきました。
田中さん:
モナコで出会った起業家たちに刺激を受け、「では、自分には何ができるのか」と考えたとき、私は「起業」によって人生が開けたことを思い出しました。だからこそ、地元の若者たちに、「必ずしも親や先生の言うとおりに、いい大学や大企業を目指すだけが人生ではない」と伝えたくて、起業家支援プロジェクトとして2013年に「群馬イノベーションアワード(GIA)」翌年に「群馬イノベーションスクール(GIS)」を立ち上げました。
その活動を通じて地元・前橋の現状に直面しました。かつて賑わっていた商店街は閑散とし、県庁所在地の中でも路線価格は最下位。「このまちを何とかしたい」と思っていた矢先、既にまちづくりに取り組んでいた若者たちと出会い、彼らの情熱に心を動かされました。応援を続けるうちに、私自身も深くのめり込んでいったのです。
まずは街のビジョンが必要だと考え、2016年に前橋市と共に「前橋ビジョン策定プロジェクト」を立ち上げ、「めぶく。」 をビジョンに定めました。翌年には地域の企業家たちと「太陽の会 」を設立。加盟企業や個人が年間50万円を拠出する仕組みで、民間主導のまちづくりを進めています。
前橋出身とはいえ、当時の私は地元から長く離れていた「よそ者」。それまで変化のなかったまちを変えようとしたことで、最初はかなりの批判も浴びました。「東京で成功した田中が一時的に戻ってきただけでは?」「政治家になりたいのか?」「また金儲けしたいのか?」といった疑念ももたれました。でも、長く活動を続けるうちに、「この人は本気だ」と思ってくださる方が増え、少しずつ協力者が現れ、今では多くの仲間に恵まれています。
現在の前橋は、若者の起業が次々と生まれるなど、確実に変化が起きています。私自身も命がけで取り組んできましたし、それが地域に伝わった結果だと思います。ただし、山登りでいえば、まだ2合目。これからも根気強く進めていきたいと思っています。
― アートやデザイン、食の力で世界中から人が訪れる「前橋」を実現したい
Shinya Kigure
田中さん:
2020年には、300年の歴史をもつ老舗旅館をリノベーションし、アートとデザインが融合した「白井屋ホテル」として再生しました。建築は藤本壮介氏、館内にはレアンドロ・エルリッヒ氏の作品やジャスパー・モリソン氏のデザインなどの世界的なアーティスト・デザイナーの表現が随所に取り入れられています。ホテルであると同時に、地域の人と訪問者が交流できる「前橋のリビングルーム」としての機能も果たしています。
さらに2023年には、生活とアートが共生する複合施設、「まえばしガレリア」をオープンし、周辺の歓楽街の景観も着実に変わりつつあります。
ヨーロッパには「旧市街」が残る都市が多く、街の魅力や個性を支える基盤となっています。前橋にもアート・デザイン・食を通じて、現代的な「旧市街」のような特別な空間を作りたいと考えています。
その延長線上にあるのが群馬・国土交通省・前橋市が進める1.5㎞にわたる道路整備企画「前橋クリエイティブシティ (県庁~前橋駅) 」です。ここに、アートをちりばめた「トランジットモール」が生まれたら素晴らしいと思いますし、アートを限られた人のものにせずに、人々の生活動線上に一流のアーティストの作品が飾られていたり、街そのものがミュージアムになるという構想を話合っています。誰もが自然にアートに出会える街にしたいですね。
優れたアートには、確かに人を惹きつける力があります。世界中の人が「前橋に行こう!(Go to Maebashi)」と思ってくれるような都市にしていきたいと思います。
私がここまで真剣にまちづくりに取り組んでいる姿を見て、「自分には無理だ」と言われることも多いのですが、私は「ロールモデルをつくって、プロセスを可視化すれば、みんなで取り組める」と信じています。今後は私の経験や仕組みを一般化して、他の地域でも応用できるような形にしていきたいと思っています。
インタビュアー:Co-CEO 藤田淑子
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